成長コラム One Point Column

Doing連載魅力経営のヒント
第9回目:経営者がすべき、真の勉強法 (2010年4月号)
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■勉強するのは、未来を変えるため

 昨今、「勉強ブーム」で、数々の勉強法の本が出版されたり、能力開発の高額な講座もたくさん開催されています。
経営者やリーダーの方は、勉強好きな方が多いこともあり、ここ最近特に、勉強法について相談されることが多いです。みなさんの話を聞いていくと、遥か昔に経験した受験勉強を土台にしている場合がほとんど。中には、お金と時間と労力を著しくムダにしている方も見受けられます。

 時代の変化がますます加速し、常に新しい勉強法が開発され、いつの間にかたくさんのものが消えていく中で、一体、何を勉強したらいいのでしょうか?どんな勉強をしたいいのでしょうか?
ここであなたご自身を、一緒に振り返ってみませんか?

この1ヶ月間で、どんな勉強をしましたか?
誰から、何を学びましたか?どれくらいで、何ができるようになりましたか?
どんな気づきや、成長がありましたか?
それで何が変わりましたか?自分は?周りは?
そしてこれから、どんなことを勉強しようと考えていますか?

大転換期の今、良い勉強をするほど、時代の波に乗れます。間違った勉強をするほど、時代の波に逆らうことになります。何も勉強しなければ、時代の波に流されていくだけしょう。

そもそも勉強するのは、未来を変えるため。そのためには、(過去の)知識や技術をたんに身につけるのではなく、未来を切りひらく人たちの高い感覚をウツすことが大事です。 ゆえにこれからの勉強は、「何(What)を学ぶか」ではなく、「誰(Who)から学ぶか」がますます重要になってきます。

時代の変化と共に、必要な知識と技術は変わってきます。それをずっと追い求め続けていくのは不可能。革新的なひらめきや、その時代を動かす技術が生まれた「根源」さえつかめば、誰しもが日々の日常の中で、自分で生み出すことができます。その根源にたどり着くのに必要なのが、「高い感覚」です。
良い勉強とは、高い感覚の人から、その感覚を自分にウツす(写・移・映す)勉強です。それを続けていれば、自ずと時代の波に乗り、関わる人たちに幸せをウツしていけるでしょう。

 

■頭で学ぶのではなく、体で高い感覚をウツす

毎月、応援させていただいている呉服屋さんがあります。そこに先日から、丁稚奉公に入った20後半の男性Aさんがいました。Aさんはある老舗着物メーカーの最大手の息子さんでした。その会社を継ぐのに、父親がどこで修行をさせたらいいのか探したところ、その呉服屋さんしかないということで、Aさんを修行に出させたわけです。

そのAさんと話していると、実家の会社はもちろん、呉服業界に大きな危機意識を持っていました。そもそも呉服産業自体が、1兆円産業から3000億円産業へと、三分の一以下に縮小し、今もなお衰退のスピードは加速しています。そこでAさんは、なんとかしたいと、経営、マーケティング、成功哲学など、莫大な量の勉強をしていました。

しかし、Aさんと話していると、あることが気になりました。「あの僕が(実家に)帰ったら、(立て直すのに)何をしていいか考えているんです。そのためには、何を勉強していいんですかね?」などと、「何(What)を」ばかりに意識が行き、頭の中だけで思考がぐるぐる回っていることでした。

そもそも、Aさんが修行に入った、その呉服屋さんは業界でも珍しく、お客さんから愛されている順調なお店。全国の呉服屋さんのウラ事情までよく知っている、老舗着物メーカーの社長が、自分の息子のAさんの教育を頼んだほどです。

そこで、その呉服屋さんのご主人に、「呉服屋さんで、一番最初に何が大事だと思いますか?」と聞いてみました。
すると、ご主人は「んー。いっぱいあって、何が一番かは分かりませんが、強いて言うなら、お店に入ってきたお客さんが、歓迎されてるって瞬間的に感じられることじゃないですかね」と話してくれました。

そこでさらに、「歓迎されているってお客さんが感じるためには、何をしたらいいんですか?ご主人は、どうやってるんですか?」とさらに聞いてみると、「どうやってるって言うか…、たくさんあるとは思いますが、まぁとても感覚的ですが、心から歓迎するとかしか言えないですねよね、あはは」と話していました。
Aさんは頭の中だけで考え、その呉服屋さんのご主人は感覚で動く。これこそが決定的な違いでした。そこでAさんにこんな話をしました。

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ここのご主人から、最も学ぶべきことは知識や技術ではなく「感覚」です。それは、コトバでは語りつくせない感覚であり、考えてもたどり着けない感覚。それを全身で感じて、体得することが大事だと思います。ご主人の感覚を、自分の中にウツすことを第一にしたらいいでしょう。

そもそも、どうやったら感覚はウツるのか?

それは、細部までの動き、空気、雰囲気まで、ご主人を徹底的にマネることです。

プリンターやカメラで有名なキャノンに、酒巻久さんという方がいます。キャノンを世界企業にした立役者で、5年間で売上2倍増し、利益10倍にしました。現在はキャノン電子の社長で、キャノングループで唯一の、右肩があがりに成長を続けている会社にした方です。酒巻さんは、自ら国際特許を多数取得し、さらに多くの技術者やリーダーを育てました。なぜ、そんなことができたのか?その秘密こそが『デッドコピー』だと語っています。

デッドコピーとは、大きさから材料まで徹底的に分析して、100%全く同じものをつくることです。酒巻さんは、古今東西のありとあらゆるジャンルの名品、名機を、若いころからデッドコピーし、一流の設計の秘密を学んできたそうです。

「これはいいな」と思った製品を買ってきて、何もないゼロから、全く同じものつくっていくと、それをつくった人の感覚(思想、考え方、価値観)を追体験することでき、さらにその感覚がある瞬間に流入してくる。感覚が流入してくれば、その製品を越えるものがつくれるようになっていくのだそうです。

ちなみに、酒巻さんは、「デッドコピーを三回やれば、設計者として一人前になれる」と話しています。しかし、ほとんどの方ができないそうです。それはなぜか?

そこに、自分の考え方を入れてしまうからです。「この方がもっといいのでは?」「これよりもこっち」「なんでこうしたのだろう」などと考えてしまい、同じ物が作れないか、同じものを作ろうとしているけれども、どこか自分なりに作ってしまったりだとか、デットコピーができないのです。それでは、つくった人の感覚(思想、考え方、価値観)が流入してくることはありませんし、結局それを越えるものが作れないわけです。デットコピーの目的は、つくることではなく、感覚をウツすことにあるからです。

だから、いろいろ考え込まずに、ここのご主人をデッドコピーしたらいいと思います。とにかく同じ姿勢をとってみるとか、息づかいを合わせてみるとか、同じようなテンポで、同じ内容をお客さんに話してみるとか。分からなくても、とにかく全部の行動をコピーしたらいい。

デッドコピーしていたら、突然、あることに気づいたとか、ストーンっとハラに落ちたとか、感じ方が変わるとか、これはこんな意味があったんだ、とか分かる瞬間がきっと来るでしょう。だから最初から理解納得を求めるのではなく、分からずともコピーすることが大事。感覚は理解するものではなく、体得するものだから。

高い感覚をウツすことができれば、実家に戻った時に、やるべきこと、改善すべきことが目に飛び込んでくるでしょう。あとは、それに取り組むだけ。何か困ったときは、「あのご主人ならどうするだろう?」と感覚と対話したらいいでしょう。きっと、革新的なひらめきが訪れるはずですよ。

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というお話をさせていただきました。

「何(What)を学ぶか」に意識が向くほど、大事なことが見なくなっていくことが多いです。「誰(Who)から学ぶか」に意識が向くほど、何が大事なのか見えてきます。「誰(Who)から学ぶか」が決まり、その人の高い感覚がウツしたならば、そのあとで「何(What)を学ぶか」が分かり、自然と「何(What)」をしたらいいのかが見えてくるのです。

 

■感覚をウツせば、自然と才能は開花する

 感覚をウツすことは、仕事でも、プロスポーツでも、芸術でも、料理でも、どの分野でも重要なことです。感覚をウツせるかどうか?この差が、圧倒的な差になるのです。

帝国ホテルの料理長を26年間勤め、フランス料理を広めた村上信夫さんのお弟子さんの中に、世界最高峰のフレンチシェフとして活躍中の三國清三(みくにきよみ)さんがいます。村上信夫著「帝国ホテル厨房物語」(日経ビジネス人文庫)の中で、三國さんについて、こんなことが書かれています。

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三国君は私が総料理長だった当時、札幌グランドホテルから帝国ホテルに志願してやってきた。正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気があって、よく気がつく男だった。何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。

駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが「専属コックにいい人はいないか」と打診してきたとき、頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、私は三国君を選んだ。当時、三国君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことがなかった。

では、なぜ私は三国君を推薦したのか。

彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。
それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。厨房では俗に「塩ふり3年」と言うが、彼は素材に合わせて、じつに巧みに塩をふっていた。実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分かるのだ。

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昔から、帝国ホテルの若い従業員の方々は、見習いの時に、長いこと皿洗いを何回も何回もずっとさせられてて、料理を直接教えてもらうことなど、そう滅多にないといいます。
しかしその皿洗いにこそ、感覚をウツす最大のチャンスがあったのです。三國さんは皿洗いをずっとやりながら、残ってるソースとかを食べたりして、感覚をウツしていった。全く料理をつくらせてもらえない未経験な三國さんが、見事、駐スイス日本大使館の料理長を勤め上げることができたのは、帝国ホテルでのシェフたちの感覚が流入していたからこそできたのでしょう。

では、どうしたら感覚が一番ウツりやすくなるのか?

それは、2つのポイントがあります。
「下座行(げざぎょう)で、感覚を研ぎ澄ます」と「基本の反復で、感覚を浸透させる」という2つです。

 

■下座行(げざぎょう)で、感覚を研ぎ澄ます

 いくら努力しても、いくらデッドコピーしても、感覚がウツってこない場合があります。それは、感覚が鈍り、淀んで鈍っているときです。感覚を高めるのは大変ですが、落ちるのは一瞬です。感覚が落ちないようにするために、また落ちてもすぐに感覚を戻せるようにするには、「下座行」が大事になってきます。

下座行とは、自分の身を一段低くして、人様のために行う施し(掃除、洗濯、皿洗いなど)のことです。下座行をすることで、心のゴミがなくなったり、感情が乱れにくくなり、静かな状態になっていきます。すると美意識が高まったり、相手の心を深く察することができるようになったり、相手の感覚を繊細に感じられるようになるのです。

組織崩壊しているキレイな会社はありません。発展し続けている汚い会社もありません(ここでいう、キレイ、汚いは、もちろんオフィスや設備のことではなく、掃除が行き届いているかどうか、という意味です)。
なぜなら、キレイにしている人は、感覚が繊細になり、仲間やお客さんの気持ちを察することができ、問題発生の前に対処できるか、たとえ問題が起きたとしても適切に対応できるからです。
空間の乱れは、心の乱れ。心の乱れは、行動の乱れにつながります。すると感覚も乱れ、仲間やお客さんのことなどどうでもよくなり、自分のことしか見えなくなっていきます。すると「これぐらいいいや」と見逃すようになり、やがて感覚がマヒしていくのです。

さらにリーダーになるほど、下座行をしなくなるので、感覚がマヒしやすい。リーダーにとって下座行は、感覚を高めるだけではなく、相手の心が見えなくならないためにも必要なのです。
掃除をして空間を整えれば、心も落ち着きます。すると行動も丁寧になり、大事なことが見えてくるようになります。

 釈迦の七番目の弟子に、「周利槃特(シュリハンドク)」という人がいます。周利槃特は、非常に物覚えが悪く、自分の名前すら忘れてしまい、自分の名前が書かれた札を、背中に貼られていたというほどでした。

ある日、ブッダから、大事な悟りの教えを受けましたが、周利槃特はそれすらも忘れてしまいます。落ち込んだ姿を見て、ブッダは「今日から毎日、精舎の掃除をしなさい。そして、掃除をしながら『塵を払い、垢を拭わん』と称え続けるんだ」と教えます。

その日から周利槃特は、釈迦に言われた通り、ただ一心に、『塵を払い、垢を拭わん』という言葉を称えながら、来る日も来る日も、精舎の掃除を徹底しました。
すると、彼の心の中に、一つの疑問がわいてきました。

「“塵”とは何だろう?“垢”とは何だろう?」

周利槃特は、延々と掃除をしながら何十年も考え続け、それが自分の心の中にある『三毒:むさぼり(貪欲)・いかり(瞋恚)・おろかさ(愚痴)』だと気づきました。

「どんな人の心の中にも、この三つがある」という釈迦の教えであることに気づいた周利槃特は、一心に掃除をすることだけによって、釈迦の十大弟子の中でも深い阿羅漢(あらかん)の悟りを得ることができたのでした。

 自らすすんで下座行をすることによって、心のゴミを取り除くことができます。心が純粋なほど、感覚はウツっていきやすい。すなわち、「下座行なくして、感覚の飛躍なし」ということです。

 

■感覚を浸透させる奥義、それは基本の反復

 どの分野にも共通して、最も大事なことを「基本」といいます。基本をいくらやっても、
基本に終わり(ゴール)はありません。野球でいえば、素振り。どんな選手でも、一流のプレイヤーでも、ずっと素振りを繰り返します。基本を繰り返すことで、感覚が高まり、その感覚が浸透していきます。感覚をウツす奥義こそ、「反復する」ことです。

孔子は「易教」の本を、表紙の皮(当時の表紙は皮でできていた)が3回破れるくらい読んだと言われています。
現在、いろいろな速読や多読の手法が広まっていますが、本をたくさん読むことで知識は得ることができますが、感覚を高めることは残念ながら難しいでしょう。高い感覚を浸透させるには、自分のバイブル本を決めて、それを何十回も繰り返し読むことが重要です。繰り返すほど、感覚は高まり、骨身(潜在意識)に深く浸透していくからです。

 

■時空を超えて、高い感覚を流入させる

昔から偉人や賢者がやってるような勉強法があります。それこそが感覚をウツすことです。ヨガの聖者にしても、聖者には師匠がいて、その師匠の感覚をウツすことなしに悟り開くことはできませんでした。
たとえば、江戸時代の国学四大人の師弟関係も、このウツシの関係でした。

①荷田春満(かだのあずまろ)
 師匠↑↓弟子
②賀茂真淵(かものまぶち)
 師匠↑↓弟子
③本居宣長(もとおりのりなが)
 師匠↑↓弟子
④平田篤胤(ひらたあつたね)

本居宣長が賀茂真淵に弟子入りしたのはたった一日。平田篤胤も本居宣長に教えを受けたのは一度きりで、それも夢の中でした。弟子なのに直接教えを受けたことはないのです。
なぜ、そんなことができたのか?それこそが、「ウツシ(写・移・映)の秘法」を使っていたからです。深い意識で師とつながっていれば、「言葉・心・行い」の三要素を師のそれとリンクさせる(=師を含む)だけで、自動的に感覚のインストールが開始します。

では、直接感覚をウツしたい師匠がいない場合どうすればいいのか?

それは平田篤胤のように、時空を超えて感覚をウツせばいいのです。
例えば、芸術家の感覚をウツすとしましょう。ルノアールが好きだとしても、ルノアールの作品は残っていますが、ルノアールが実際に絵を描いてる場面を見ることはできません。しかし達人になると、その絵をじーっと見ることで、感覚としてルノアールがどのように動いて描いていたのか分かるのです。どんな呼吸使いだったのか肌で感じるのです。実際に映像で見えなくても、本人の感覚をウツすことができます。

しかし、ルノアールの絵を、そっくりにそのまま描いても、感覚がウツっていない人がいます。それはなぜか?
いくらそっくりに写真をうつしたとしても、「言葉・心・行い」の三要素を師のそれとリンクさせていないからです。(=師を含んでいない)

では、どうやったら感覚をウツせるのか?

まず大事なのは、ルノアールの生涯をまず知ることです。ルノアールに関する本を読み、まるで自分がルノアールになって、実体験してるみたいに、「あ、この時、こんな気持ちなのだろうな」と感情を深く感じたり、何でこの作品に至ったのか前後関係を没入して、ルノアールそのものを感じること。それを一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月ってやっていけば、ある日突然、感覚が流入してくるのです。
技術や手法に目を奪われるのではなく、一流の人が自然とやってる呼吸や感覚をウツすことです。感覚を流入させずに、ルノワールそっくりに書くだけなら、コピー機を使ってコピーした方が、時間も手間も一切かかりません。

呼吸使いや、発している空気感までマネていると、感覚が流入してきます。しかし当然ルノアールとは、自分自身の生き様も違えば、使ってる道具も違う、スキルも違う。だから、感覚をウツしても、表現されるものは必然的に自分のオリジナルになります。そこれこそが、一流や天才の感覚をウツす本物の勉強法なのです。


■しかし、有能な人が、幸福な人とは限らない

天才の感覚をウツせば、いい仕事ができるのか?いい人生になるのか?

能力アップばかり目指している人は、邪道に流れやすくなります。能力は身に着くかもしれませんが、人間性が磨かれるとは限りません。むしろ人間性が失われていくことも多々あります。知らず識(し)らずのうちに自意識が大きくなり、「妬み、嫉妬、憎しみ、疑心暗鬼、子供っぽいプライド」があまりにも自然に、心の中で発生するのです。すると自分という幻想にとりつかれ

・自分(という幻想)が可愛いくなります。
・自分(という幻想)が捨てられなくなります。
・自分(という幻想)にとっての満足が手放せなくなります。

すると、「そんなつもりはない」「こんなはずじゃなかった」がキメゼリフになるのです。

だからこそ感覚をウツす前に、最も重要なことがあります。

まずは、自分が幸福になる。
そして、人の幸福を真に願うことです。

天才的な感覚は、天使にも悪魔にもどっちでもいけます。必ずこのステップを踏むことです。自分が幸せになって、周りの幸せを願うこと。例えば、どんな小さいことでもいいから、いいことして徳を積むこと。そうして自分の器を大きくしていくことです。

自分の器よりも大きい才能を持ってしまった時に、どんな悲劇が起こるのか?

川端康成、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、ゴッホ、ヘミングウェイ、彼らは自ら命を絶ちました。彼はもしかしたら純粋な心を持っていたかもしれません。しかし、その才能を上手にコントロールして、世の中に活かしてためのメンタルティが、飛び抜けた才能に比べて、十分に育っていなかったのかもしれません。

才能を持つというのは、それだけ責任があります。役割があります。そして、それを受け入れる覚悟が必要です。経営者がすべき真の勉強とは、覚悟を持って責任と役割を受け入れたうえで、人間性を磨いて器を大きくし、幸福を自分から周りに広げていくもの。その勉強を続けたとき、感覚の飛躍(ジャンプ)が訪れ、新しい未来がひらかれるのです。


現役歯科医師による歯科医院の為の経営マーケティングクラブ「Doing(ドゥーイング)」
小田真嘉の「魅力経営コラム」2010年4月号より